Re:sonzaiya

人の在り方生き方について思索します

愛着のかたち〜男女の愛と親子の愛〜

  • 愛着のかたち

自分の愛着形成がきちんとできているって断言できる自信のある人もいるのかもしれない。なんの疑いもなく愛情を注がれて育ったならば。

 

それじゃあ、自分の愛着のかたちが歪だと気づいてしまった人はどうしたらいいんだろう?

 

愛された記憶の欠如とか愛され方がわからないとか愛し方もわからないとか、どうやって人と親しくなるの?とか。適切な距離感や感情の交流、独占欲や支配欲、愛と間違いそうな感覚もたくさんある中で全部を意識的に考えないと自然に振る舞えないとしたら……。

常にさみしさが付き纏い求めすぎてしまうがゆえに距離感が近くなりすぎて息が詰まってしまう負のループを超えられなかったら……。

 

超えられなかったら超えられるまで、愛着のかたちに変化は訪れない。何度も同じ失敗を繰り返すかもしれない。自然なままでいると歪みまで全部コピーしてしまうみたいに、欲望に脅かされて。欲望からの言動は、お互いに消費や解消しあえれば釣り合うけれど、そうでなければどちらかに我慢のシワ寄せが行く。そうして傷つけるつもりはなくても傷つけてしまう。

 

正しい愛の在り方ってどんなもの?

愛着が歪な人でもいつかは理想的な関係を築ける様になる?そのために何が必要?自分の気持ちコントロールと欲望の伝え方と満たし方と言葉の使い方とお互いへの尊敬と感謝と、それから?

 

愛することって自然にできないといけないような気がするけど、育つ環境にとても左右されることだから難しい。

正しい愛着を持っている人だけか幸せになれるって考えたくない。努力や思考の末に手にできるって嘘でも言ってほしい。誰もが幸せになれる資格くらいあるって信じられる世界に生きたいから。

親子関係に悩んだ人達でも、愛着形成がいびつでも、愛について考えてコントロールした行動をすることで人と安定した関係を持てると信じたい。良くない愛着のかたちを持っていたとしても、いつかは落ち着き納得できる状態で人とわかりあうことができるようになるって言ってほしい。難しくても。お互いに諦めなければ、どこまでも一緒にいる覚悟を持てれば何度でも関わり方を調整できると信じたい。

お互いの居ない人生が考えられないくらい親しくなれる人がいる日常では、どんな悩みがあっても一緒にいたら乗り越えられるそんな相手を見つけて暮らせるようになるのに、愛された記憶がなくても理想を追えばある程度近づけるって信じたい。

 

『この人と同じ時代の同じ時間を生きたい』という思いでパートナーや親友を求める人間の言動が無くならない事が幸せのはじまりの様に思う。

 

  • 性愛と子育てに必要な愛は異なる
  • どんな事があっても子どもに愛情を注いで育てる覚悟

性愛の欲求と子育てに必要な愛は異なるから、ネグレクトや虐待の問題が起こると思っている。

 

子どもを育てる段階には、パートナーと安定した関係が続いていることが望ましいのに、親のさみしさや性愛の満たされない不安定が原因で、親が恋愛から子育てに移行できず、子どもを育てる段階になっても恋愛をしていると子どもは親の愛情が欠如して、その子どももまた不安定な愛着形成になり負の連鎖が続く。

 

子どもを産めば変わるだろうと予想して子どもを産んでもうまく子育ての心理に落ち着けない場合も想定しておかなければならないかもしれない。子どもを産むと決めた時には、どんな事があっても子どもに愛情を注いで育てるという決意を意識的に持っていないと自分の不安定さを優先してしまい、不幸が起こる。子どもに罪はない。わからない未来を予測して子どもを持つと決めてむ時は、自分の欲望を優先しないで苦しくても子育てを優先するつもりの覚悟を持って子どもを持つ選択を責任を持ってしなければならないと思う。

 

果たして親の不完全な愛着形成は意識的覚悟を持つことで意思のちからで子どもに愛情を注げるだろうか?自分のさみしさや満たされなさに負けないで欠乏したままで、子どもに愛情を注げるだろうか?親になった時、未熟を意思が凌駕し大人の態度で子どもを守れるだろうか?ずっと自分が恋愛で守られる時期を維持してしまうのではなく、恋愛期から子育て期にちゃんと移行できるだろうか?その覚悟を持ってみんな子どもを持つ選択をする時にちゃんと考えてみているだろうか?

 

男女の愛と親になる子育ての愛は別物だ。

それを生活に混ぜる事で起こる気持の混乱がわたしにはあった。子育て期にカップルのどちらか一方が男女の仲を優先させたさで行動すると家庭は子育て期を一緒に乗り越えられない。男女の性愛を持ったまま親になれない。親でいる時、男女の性愛は抑制されないと親子関係が維持できない。親子でいる時間は男女の性愛を混ぜない事で安定する家庭機能があると思う。

子育て期のカップルには、親子でいる時間と夫婦の男女でいる時間の使い分けをする必要がある。性愛を良くないと言っている訳ではない。男女の顔と親の顔を使い分ける器用さは求められるだろう。

 

 

  • 好きな人に出会う順番
  • 自分の『好き』を他の誰かと幸せより優先させる理由は

結婚してパートナーを持ってから更に好きな人が現れたらどうするだろう。

安易に恋愛に突入するのは、他の人の幸せを壊す行為を自分が選択しているということを意識しているだろうか?

お互い不倫の場合、相手のパートナーより自分の幸せを優先させる理由や相手の子どもが得られるであろう安定した家庭生活より自分の欲求や『好きという気持ち』を優先させる理由は何かを考えてみるだけの冷静さを持って行動の後先を考えられているだろうか?

 

自分の『好き』を優先させる理由が子ども時代の満たされない愛着形成にあるというのなら自分の現在の行動でまた自分と同じように子ども時代愛情の欠如した子どもをつくり出し、安定した愛着形成のできない人間をまたひとり作る行為をしてしまうという事まで考えて自分の『好き』を優先しているだろうか?

 

わたしは、不安定型の愛着形成をもつ自覚があるから、家庭のある人を好きにならない行動の選択をする。はじめから近づかない事を心掛ける。親しくなるだけが人間関係の正解ではないことを皆に少し考えてもらいたい。

家庭を壊さない努力をすることや自分と同じことで苦しまない人間を作らないようにする努力だけか作ることができる未来があると信じたい。

自分以外の人の幸せのために欲望を自由にしない意志を持つことが、人間にはできると信じたい。ただ性愛の欲望の末に子どもを産んで不幸を繰り返す愚かさはやはり罪だろうと思われる。何でも自分のさみしさや欠如が理由でも自分だけ優先させるのは自分勝手すぎるだろう。大人になりきれていないとか気持ちが育っていないからとかではなく、自分以外の人達の幸せも壊さない努力をすることでしかもたらされない未来がある。

自分の欲求が満たされる方が大事?

他の誰かの幸せより自分が幸せになる事が大事?

他の誰かのそういう態度で自分の幸せが壊されても同じ事が言えるかな?

 

因果応報はあると思うから、他人の幸せも考えられる人間が増えると良い世の中になるのではないかな?と思う。

 

その理性を投げうってでも一緒にいたい人が現れたなら、心は荒れるだろうけれど、恋愛じゃない形の暮らし方を選んだり関わり方を維持する事で保たれる『その人の上品さ(社会的に求められる正しさ)』はある様に思う。

 

好きの満たされなさのつらさを理解した上で、社会的正しさを優先した先に結果的にできる緩やかな周囲に許された諦めのもとの新しい愛情関係の未来もないことはないとも思うけれど、その途中に子育て等がある場合それをきちんと終えた上で迎えられる自由くらいは許されてもいいのかもしれない。人間関係の正しさに優しさを加えるのならば。何事も正しさだけか正解でもないという不条理で許される関わりもある位の緩さで救われる完璧じゃない人間同士の目線でできる愛情もあるだろう。社会的納得を得ながら行動する事で安定する包括的人間関係の大きな愛情が支えになる事は、愛情関係の欠如した不安定な子どもを社会で見守る事ともつながっていく行為だと信じたい。他人を思い遣ることでしか安定しない社会平和を皆で考えたい。